北海道先住民族のアイヌ人が、自分たちの事をカイ?カイノなどと呼ぶ事から、命名するときにカイという言葉を用い、律名時代に、区分されていた七道にならって、北海道と命名。青森県青々と茂る松の森がその語源。津軽藩士がこの地に開港する時に浜松が一面に生え、小高い森が青々と茂っている事から命名。岩手県人々を苦しめた鬼が、神に懲らしめられ、もう二度と悪さはしないと神に誓い、三石岩(盛岡市)に約束の手形を押したという伝説から、「岩の手形」で岩手となった。宮城県新井白石説によれば「宮は神社を意味し、この地に古くからある塩釜神社を指す」と言う。また、「ギ」は接尾語で、後から城の字を当てはめたものらしい。秋田県アイヌ語でアキ?タイ=芦が生い茂るところの意味。低湿地という意味の飽田(あくた)が転訛したなど諸説がある。山形県山方(やまかた)で、山の方に寄った土地という意味。一般的に最上川の上流域を古くから山方と呼んでいた。福島県「島」は盆地にそびえ立つ信夫山の意味。「福」はおめでたい文字で、中?近世の城下町で多用された。かつてこの地方が湖沼で、泥沼から信夫山が吹き出し「吹く島」になった説もある。茨城県もともとは「茨木」で茨(いばら=野バラ)が多く茂っている地方という意味。「暴れていた先住民討伐に茨木を使った」という伝説もからとも言われる。栃木県かつてこの地方にトチノキが生い茂り、土地の人々がトチノキの実を食べていた事から県名に発展した。群馬県古代の豪族、上毛野君の一族、車持君が住んでいた事に由来し、車=クルマがグンマに転訛したといわれる。埼玉県国府のあった多摩地方よりももっと奥の方にあるという意味の「前多摩」(さきたま)または「先多摩」が転訛して埼玉になった説が有力。千葉県千葉(多くのという意味)の果樹を植えていた国主の美しい庭園に、天女が舞い降り、国主はその美しさに魅入られて天女を妻としたという伝説に由来。東京都明治維新後、それまで宮城の地(天皇がいる地)だった西の京(京都)に対して、「東の京」という意味で東京になった。トウケイと呼んでいた時期もあった。神奈川県地域を流れる川の名前が由来とされている。水源地が不明の「上無川」(かみなしかわ)が転訛したとする説と、この川が金川(かながわ)、狩野川(かのがわ)と呼ばれていたとする説がある。?新潟県信濃川と阿賀野川の河口の中州の間に出来た新しい内湾を「潟」といい、この周辺で村が発展した事に由来すると言われている。富山県この地方ではもともと「藤居山」(ふじいやま)と記したが、ここに富山(ふせん)寺があり、この寺号が転じて地名の富山となったと言われている。石川県地域の主要部は川の氾濫でたびたび被害に被っていた。その川?手取川は小石が多く、その様子から「小石が多い川→小石川→石川」となったという。福井県「北の庄」と呼ばれたこの地に入国した松平忠昌が「北」は敗北の「北」につながるとして、縁起の良い福居と改称。その後、江戸時代に現在の福井と改められた。山梨県「山に囲まれ、梨の樹が多くあったことからそう呼ばれるようになった」とも、「山麓を切り開き平らにして開村したという意味の山平=ヤマタイラが転じた」とも言われる。長野県善光寺近くにあった村名だが、ナガは長い、広いという意味で、野は原野をさしている。つまり、広い原野という意味で、その地形にちなんで名付けられた。岐阜県正確な語源は不明。しかし、険しい山だった稲葉山にちなみ、厳しい、過酷、険しいという意味の「キブシ」が転訛したという説がある。静岡県明治維新後、賤機(しずはた)山にちなんで命名された。賤機とは古代織物(麻)の事で、かつて機織りを職業とした人々がこの地にいたとも考えられていたようだ。愛知県昔はアユチと呼ばれていた。アユは「湧き出る」という意味で、アユチは湧水が豊富な土地ということになり、その自然環境が語源のようだ。三重県「古事記」によれば倭建命が東征の時、この地で「足が三重に曲がるほど疲れている」と語ったことからその名がついたという説が語源とされる。滋賀県古くからの地名?志賀津に由来。しかし、志賀津の語源は不詳。古代、シは代名詞、ガは場所の(処)だったので「そこの土地」と呼ばれたのが語源とも言われる。京都府京は「住みやすい丘」、君主の居城の城を意味する。都は人が集まる場所であり、天子の宮城の所在地を言う。つまり「天子が住む宮城があった土地」というのが語源。大阪府近世初期までオサカと呼ばれていたように、その語源は坂が多かったことに由来する。オオサカと呼ばれるようになったのは江戸時代からのようだ。また、当初は「大坂」と表記していたが、「坂」は「土に返る」とにつながるとして、明治時代に「大阪」と改められた。兵庫県兵庫とは「ツワモノグラ」または「ヤグラ」の音読みで、武器庫の意味である。飛鳥時代にこの地域に武器庫が設置され、廃絶された後に、その言葉が地名化したといわれる。奈良県ナラは「平」または「均」という意味で、山中の小さな平地や緩い傾斜の事をさす。この地域に平らに続く丘陵=平(なら)山を表した言葉が県名になったようだ。和歌山県海岸の深く入りくんだ「和歌の浦」にちなんだ地名とされる。また、和歌の浦のワカは「海岸沿いの若い(新しい)村」が語源とか。鳥取県水鳥が多く集まったこの地に、鳥を捕獲することを仕事とした、朝廷の鳥取部が住んでいた。その場所が「鳥取造」と呼ばれたことに由来するといわれる。島根県ネは接尾語で、ずばり、シマ=島という意味。島根半島の東側、日本海に点在している島々にちなんだ名前と考えられているようだ。岡山県かつて三つの丘陵があり、その一つを「柴津岡山」と呼んだことに由来する。この岡山とは、小高い山のような丘という意味で、その地形にちなんでいるようだ。広島県この地を流れる大田川の河口には、分流によって多くの島が出来ており、まさに島が広がっている。県名はその大田川の景観に由来すると考えられている。山口県文字通り、山の入り口という意味。阿武郡の奥の山に入るあたりをさしていたので、この名前がついた。徳島県天正13年、蜂須賀家政が入国し、築いた城を徳島城に命名。吉野川の河口近くの多くの三角州には、福や徳の佳名(縁起のいい名前)がつけられており、その一つ徳島にちなんだという。香川県この辺りは渇水期になると、水が無くなる河川が多く、昔から水枯れが多かったようだ。そこで、枯川=カレカワが転訛したものとの説がある。愛媛県四国の古名が「伊予二名島」であることから、その代表の国であるこの地方を四国の長安という事で、姉という意味の兄媛(えひめ)と名付けたといわれる。高知県山内一豊が鏡川と江の口川の間の島に築いた城を河中山(こうちやま)城と命名したのが語源。だが、この二つの川は氾濫が多いために河の字を嫌い「高智」に改め、後に「高知」となった。福岡県黒田長政が築城したときに、黒田氏の発祥の地である備前国(現在の岡山県)福岡にちなみ命名。佐賀県この地に一本、大きな樟の樹があり、倭建命が巡幸の際、この木の茂り栄える様子をみて「この国を栄える国といえ」と言った事に由来する。長崎県文字通り「長い崎」で現在の長崎半島にちなんでいる。もとは地形に由来し、深津江?深江浦といったようだが、室町時代に領主だった長崎氏の姓が地名になったとされる。熊本県クマは崖下をさす。また、湿地のことを「ムタ」と言う。この辺りの地形の様子から「崖下の湿地帯=クマのムタ」が転訛し、クマモトとなったと考えられる。大分県昔はオオキタと呼ばれていた。キタは段=キダで刻むの意味で、その辺りが山や川によって大きく刻まれた地形だったことに由来するという説が有力。宮崎県宮は神社(お宮)を表し、崎は突き出た大地という意味。神社のある土地という事。また「宮」は神武天皇の旧都を示すという説もある鹿児島県神話によれば、この地方に鹿児(鹿)が多くいて、この一帯が大御猟場だった。そこで、鹿児の島といわれたのが語源とされる。沖縄県オキ?ナ?ハからなり、オキは海の沖、ナは魚、ハは場を意味し、「沖の魚場」が語源とする説がある。また、オキを海の奥、ナハは島を意味し、「沖の島」が語源とする説などもある。

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